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コロナの影響による時間への意識変化 - 三田

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新型コロナウイルスは私たちにとって当然の権利である“自由”を剥奪しました。通勤通学、イベント、食事、旅行、すべてにおいて現在もなお制限がかけられています。

しかし世界中の人々の「行動の自由」は奪われた一方「時間の自由」は格段に増加したのではないでしょうか。

在宅時間が増えたことに比例して「それぞれのタスクをどのタイミングで処理するか」の自由度は格段と上がりました。私自身はリモートワークを経験していませんが、友人らと話をしていると大幅に増加した「時間の自由」が垣間見えます。昼食後に仮眠を取ったり、好きなドリンクを片手に資料作成やミーティングに出席したり、育児をしながら出社していた時よりも多い仕事量をこなす友人もいます。これは通勤時間などの社会規範の時間の減少により、個人の時間を過ごす割合が増加したからだと考えられます。

では今後この新しい形の自由な時間に対応するためには、何が必要となるでしょうか。個人の自由化により曜日感覚、時間感覚は曖昧に溶けていきます。長期休暇の際にもそのような感覚を多くの人が経験していると思います。

曖昧な感覚が継続するにつれ、各個人の「自己管理能力」が顕在化されてきます。そこで必要となるのが“自己決定”です。効率よく自分の時間を確保する時短が今までのベースでしたが、既に時間を保持している現在の場合、どのように活用するのか自ら時間の決定をせねばなりません。さらに言えば、いつ・どこで・どうやってと言った5W1Hの幅広い選択まで、自由であるがために自己決定の義務が課されているのを日々感じます。

私自身がこの自由により必須となった「決定」に対して不便さを感じたのが、オンライン学習です。在日の海外の方と勉強する語学友達の集まりに学生の頃から参加しているのですが、現在コロナの影響でリモートでの交流学習を余儀なくされています。私は韓国語と日本語を教える代わりに、友人たちは私に英語を教えてくれます。普段は指定の時間と場所で催されますがリモートに移行されてからは各自が連絡をとり、ちょっとした隙間時間で都合が合う人のみで開催されます。

しかしこれが問題で、隙間時間のいつでも良いというメリットがデメリットに変化しました。時間が決定していないからこそ、個人の時間軸が中心となり隙間時間を合わせるのが難しくなりました。それに勉強って自分のテリトリーで過度にリラックスした状態で行ってもメリハリがなく、なかなか記憶に残らないものですよね。テキストを開いてみても、ただページの上を目が滑る、文字を追うだけ追って頭に入ってきません。これに関してはある程度の他者や社会といった第三者から決定された時間の必要性を感じました。

それまではライブ配信のストレッチやヨガも「自粛期間なのだから時間はいつでもあるのに、どうしてわざわざ決まった時間に配信される動画の需要があるのだろう」と思っていました。しかし、こうした決まった時間にみんなで行うコンテンツは時間の自己決定を手助けする1つなのかもしれません。

「いつでもどこでも気軽に」そんなよく聞いていたフレーズの生活がついに今本格的に到来しました。しかしその流れに必要な要素を自身がいまだ持ち合わせていないことも同時に実感します。自己管理をするために必要な自身で選択決定する“自己決定力”。まずは時間を決める“時間に対する決定力“を頭の片隅に置き、今後の時間を有効的にしたいと強く思います。

また私の回りにも、まだ一度も大学に登校できずに膨大な課題に悩む後輩や日本企業に就職して来日したものの就労できずにいる友人などがおり、生活への影響をとても感じます。事態が終息し、平穏な生活へ一日も早く戻るよう祈っております。

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