コラム 社長's NOW

第5回 社長's NOW! 障がい者や外国人を雇用する責任と誇りと覚悟

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現在、当社で働いてくれている外国人研修生は全員ベトナム出身で総勢12名。

そして、養護学校出身で何かしらの障がいを持っている社員は13名おります。

さくらGS、TLSと正社員、契約社員合わせて110名いる中、実にそれぞれ1割近くおり、皆、個性的で当社の大事な社員さんです。

しかし、一部の社員からは、こんな声を聞いたことがあります。

「使えない」

「言うことを聞かない、言ってもわからない」

「言葉が通じない、何を言っているのかわからない」

「新しいことをさせようとしても、覚えが悪い」

「複数のことを同時にさせられない」

「単純なことならできるが、複雑なことはやらせられない」

などなど。

確かに一緒に仕事をする上で、そういったことはあるかもしれません。

しかし、それは障がいがあるからとか、外国人だからとかではなく、通常の人にもそういった評価はつきものであり、通常の人でも使えない人は使えないし、言うことを聞かない、言ってもわからないという人はいます。

ただ、一部の社員が言うことで肯定できる部分があるなら、障がい者や外国人は、残念ながら通常の人と比べると様々な側面でハンデキャップを持っているということです。

それは、言葉の問題であったり、理解度の問題であったり様々ですが、そのせいで通常の社員と比べたら仕事の範囲は狭まったり、扱いが難しいかもしれません。

けれども、私は彼らを多数雇用しています。

それは、労働力という側面で「役に立ってくれるから」というだけではありません。

「障がいを持った人でも働ける会社にしたい」

「外国人に言葉の壁があっても乗り越えて彼らが働ける会社にしたい」

という理想への願望、そしてそれを実践している誇り。

更に彼らを預かる上での責任、そして覚悟があるからです。

ただ、それは、子育てをする親の責任や覚悟と近い経緯があり、最初からそういったものを自身で確立させて行動していたわけではないのも分かっています。

正直に言って、1人目の子供が生まれた時。

とても嬉しかったけれど、親としての責任も覚悟も今ほどなかったと思います。

朝も夜も寝ている時もいつだって泣いていて、寝不足でイライラもしました。

ちょっと面倒を見ようと抱っこしたり、おむつを替えようとしたりしたなら、ギャン泣きされて、結局、なんでも「ママ、ママ。」正直、子供がかわいい、大事だなんて気持ちよりも、できるだけ関わりたくないと思う気持ちが強い自分に対して、親として失格、人として大事なものが何か欠落した人間なのではないかと悲しく思うこともありました。

2歳くらいになって、少しは愛想も出てきて、かわいいなあと思うことも増えてきて。

少し手がかからなくなってきたかな、自分にも慣れてきてくれたかなと、奥さんが息抜きでお出かけをしたり、買い物に出たりして2人っきりになろうものなら、手のひら返しで再び「ママ、ママ」と泣かれ。

もう本当にイヤでイヤで仕方がありませんでした。

けれども、3歳近くになり、子供がいろいろなことに少しずつ興味を示し始め、言葉も覚えてくるようになると、楽しくなってきました。

それから、「子供は親を見て育っているのだから」とあらためて気づき、反省し、子供に真摯に向き合おうと、生まれた頃よりも親としての自覚、責任、覚悟が大きくなってきました。

4歳から幼稚園に行くようになれば、もう子供はかわいくてかわいくて仕方ない。それに加え、いろいろなことを覚え始めます。けれども、大人になるには、本人が興味を持つことだけをやらせるのでは、いけません。親として、子供自身で善悪ややりたいことを本当に見定められるようになるまでは、やはり親が子供をリードしてあげることが必要で、それが親としての責任だと思うようになりました。しかし、子供だからといって、なんでも親が口を出してやらせるのは子供の自立を阻害します。「子供の自立」を促しつつ、適度に「親の管理」を子供にねじこむ、というのが今の僕の子供に対しての責任です。

そうして、家族に対し覚悟が生まれました。

人生は山あり谷ありでいいこともあれば、苦しいこともあるでしょう。

けれども、「やり切った」という後悔のないことを家族一丸で行うことが、子供に対する覚悟なのだと思います。

会社でも同じです。

20代で会社に入ったころは、理想の会社像なんてものも、会社に対する覚悟なんてものも今に比べたら全然、なかったと思います。当時は、全力で持っているつもりでも、それらに対する自身の考えの掘り下げが足らなかったからだと思います。

障がい者や外国人の雇用についても、後ろ向きでした。

手がかかる、面倒を見切れない、と思っていたからです。

しかし、今は、違います。

私も年を重ね、いろいろな経験をし、そこからいろいろと学び、自分の理想の会社像や社長像というものがより明確になっており、そのために自分や会社がしなくてはいけないこともはっきりしています。

私は、さくらGSという会社を立派な会社にしたいと思っています。

ざっくりと子供っぽい言葉で言えば、家族にも、友人にも、業界にも誇れ、「この会社で働きたい」「この会社に仕事をしてもらいたい」って思われる会社ということです。

ウチで働くみんなだって、「あんな会社で働きたくない」「あんな会社に仕事を頼みたくない」と思われるよりどれだけいいことか!!

そんな風に思われるには、働き手の視点としては、ただ給料を稼げるという会社だけでなく。

お客様の視点としては、ただ製品のQCDがいいというだけでなく。

「いい会社、理想の会社」としての従業員、お客様から双方からの視点が必要になってくるのです。

その一環が、障がい者雇用であり、外国人雇用であります。

もちろん、理想の会社の定義を上げたらキリがありませんよね。

昔、会社の社内研修中に、課題が出ました。

「理想の会社」って?

すると、たくさんの意見が出ましたが、その中で面白いものが1つありました。

「野球チームを持っている」でした。

自由な意見なので、その時はそれに対する意見、評価は言いませんでしたが、ではそうなるためにあなたは何をする?何もしないで待っているだけ、転がり込んでくるラッキーを望んでいるなら、それは何も起きません、変わりません。

StrangeとStrangerという英語の言葉の意味、そして意味の違いを知っていますか?

Strangeは知っていますよね、そう、奇妙な、変な、見なれないといった意味です。

中学生で習う英単語の中でもひときわ印象が強く、みんなにとっても印象は強くありませんでしたか?

では、Strangerは?

他人という意味や不慣れな人、未経験者といった意味だそうです。

決して変わり者でもなく、奇人変人でもないのです。

ここには、言葉の面白い本質が隠されていると思います。

基本的に人というのは、知らないことが怖い。

知らないから変な人となり、Stranger扱いをするわけです。

逆を言えば、どんなに変人だろうと、「こういう人だから」と分かっていたら、ちょっと性格や人間性が特徴的な個性的な人となり、Strangerではなくなるのです。

基本的人権の尊重という日本国憲法の重要な事項があります。これは、「全国民が障がいの有る無しに関わらず、互いの人格と個性を尊重しながら共存できる社会であろう」とする意味です。

当社の理念においても、経営理念に「個々の人間尊重」とありますが、まさにそういった意味であります。

障がい者や外国人をStranger扱いする前に、彼らのことをもっと知ろうとしてください。

知った上でそれを「意味がわからない、理解不能」ではなく、障がいを持っている人ならどんな障がいで、どんな性格でどう付き合っていけばいいのか理解するように努めてください。

外国人だったら、彼らの固有の文化やそれ以外に個々人の性格でどんな個性があるのか、障がい者と同じように興味を持ち、理解しようとしてください。

それが僕の考える「理想」の姿の一つであり、それを実践していることに「誇り」を持ち、それをやり切る「覚悟」を持って会社の運営責任を持って行動しています。

みんなが僕と同じ意見ではないことも理解しています。

しかし、当社の社員である以上、社員として少しでも多くの社員が理解を深め、心の底から思ってくれるよう成長していくことを期待しています。

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