

緊急事態宣言の中、GWは自宅で自粛しています
さて、私はこのコラムの文章をGW中に執筆しており、まさに今はコロナウィルスの影響の下で自粛の真っ盛り。たとえ天気は良かろうとも、最低限の買い物以外は自宅におり、子供とは家の庭でサッカーボールを蹴ったり、水遊びをしたり。そんなことをしながら毎日を過ごしております。
これが掲載されるのが2020年6月20日以降。その時には、コロナウィルスの影響が沈静化、または何らかの対策が打たれ、緊急事態宣言は解除されているのかなあ。誰にもそれはわからないことですが、このコロナウィルスのおかげで私たちのライフスタイルには大きな変化が生じようとしております。
どこか、世界、そして我々にはゆるみがあり、安全が当たり前に手に入る感覚があったかと思いますが、安全は当たり前ではないということが強く意識されています。それは、過去において、ここ10年においてもリーマンショックであったり、震災であったりと大きな事件はありながらも、自身が経験しないとどこか他人事、遠くの国で起きている戦争のように感じていた危険が、ウィルスは誰もが感染する可能性だけでなく、誰もが誰かを感染させてしまうかもしれない。そんな事実を突きつけられました。まあ、そんな状況下でもそれをきちんと理解しない人、それを無視する人もいるのが現実ですが。
ともあれその結果、人はコミュニケーションの方法が制限され、様々なことに気を配り、注意をして行動をしなくてはいけない時代になっています。
私はこのコロナウィルス禍はそう簡単に収まるものではなく、数年は世界中を伝染し蔓延する可能性があるものと考えているため、これに対する準備が必要と考えています。ちなみにこれはあくまで「最悪の事態を想定して」ということであり、「そうなります」と断言しているわけではないことを付け加えておきます。
コロナウィルス禍後の未来、会社の在り方を考える
そこで私は、これからのウィルスと共に生きなくてはいけない可能性がある未来の会社経営おいて、これまでの自己の会社経営を再点検しながら、これからの経営の在り方に追記する事項は何かを再検討することにしました。
その結果、出した結論が以下の3つになります。
- 自由と秩序のバランスを考え直す
- コントロールできることと、できないことを分ける
- 悲観的に最悪の事態を想定して予防し、楽観的に行動する
この3つについて、これから詳しく説明をしてまいります。

自由と秩序のバランスを考え直す
これは、コロナ禍以前から考えていたことですが、更に強く思うようになりました。
そもそも、僕はルールに縛られて生きることが嫌いです。命令することもされることも嫌いです。これは私の性格、生きてきた生活環境から由来されることと思います。
「何をやっても自分に返ってくる、自己責任、自分で決めなさい」そう育てられ、自分でそう感じて生きてきたからだと思います。小さい頃から「おまえがしたいことはなんだ?」と問われてきたことを思い出します。
ですから、秩序は大事だけれども守りすぎると改善、発展がないと思っていました。
なぜって?ルールは破ってみないとその必要性がわからないし、必要性のないルールはいらないし、必要ならもっと良いルールにしていかなければならない。けれども、ただルールの意味を知らずに守っているだけでは、改善、発展がない。
「なんでこれやっちゃいけないの?やらなければいけないの?」という質問に対し、「ルールだからだよ。みんな当たり前にやるからだよ」と答えるのは一番に愚かなことだと思っていました。小学生くらいまでは、そういった意味では問題児でした。中学生になるとルールが存在し、それを守らないと社会からつまはじきにされることを強く理解しましたが、基本スタンスは変わっていません。
結果、私は秩序、規律、ルールといったものは必要だけれど、それが全てでもない。
自由であるために必要なことは何か。
それは相手の自由を尊重し、侵害しないこと。自由がぶつかり合う時には、互いに理解を深めるために話し合いをし、そこから互いに譲れないところと譲れるところを切り分けることでそれぞれの自由が成立します。
コロナ禍の中で、個々の自由という言葉のもとに緊急事態宣言が出ているにも関わらず、個々の判断で行うものがおります。これを制限できないのが今の日本の弱さ、ガバナンスの弱さかなあと思います。
秩序ばかりで自由がないのも息苦しいし、発展性がない。逆に自由ばかりで無秩序なのもみんながバラバラになり、何が正しいのかの判断基準がなく、社会は混乱する。結局、当たり前のことなのですが、自由と秩序の最適な状態がどこになるのかを探り、自由と秩序を形成するチームのメンバーの合意を取り、どこまでバランスをとれるかが大事なのです。
皆さんは、会社においてどんなことをやったら褒められ、表彰され、名誉や褒賞をもらえるか知っているでしょう。また、何をやったら怒られる、叱られるかも知っているでしょう。けれども、何をやったら怒られるだけでなく罰をもらって、不利益な扱いを受けるかを分かっている人はいないと思います。それは、私がここまで社長になってからまともに罰を与えたこともないからだと思います。つまり無秩序になってしまっているわけです。
あらためて私は、会社における秩序、ルールが何なのかを皆さんに理解してもらいながら、自由な部分を生かせるバランスをとった経営が必要だと思っています。
コントロールできることとできないことを見極める
お給料の減額をしない、ということで、それを「生活保障として当たり前」と感じる人もいれば、「会社も大変なのにありがたい」と感じる人もいるでしょう。人の気持ちはコントロールできません。この判断でコントロールできることというのは、社員の皆さんの生活を守ることができ、コロナ禍の影響を小さくすることができるということだけで、気持ちはコントロールできません。
お客様に対しても同様です。今回、4月24日の金曜日、27日の火曜日とコロナ禍の影響を小さくするために緊急で休業を行いましたが、きちんと通常のご連絡は差し上げているにも関わらず「そんなことは聞いていない!」と怒り出すお客様もいれば、「仕方ないよね」と理解を示すお客様もいらっしゃり、お客様の気持ちをコントロールすることはできません。この休業を行うことでコントロールできるのは、コロナウィルス拡散の可能性を下げること、そして会社の出費、コストを抑えて生産効率を高めること。これらはコントロールできます。
コントロールできないことを無理やりコントロールしようとするとロクなことになりません。ですから、まず何をどこまでコントロールできるか考え、見極めること。この見極めが的確で速くなると、自分がコントロールできる範囲が広がり、自信が持てるようになります。工場長になって製造現場の最前線に立つ課長さんや品管さんと話す時間が増えたのですが、この見極めができていると感じると信頼して仕事を任せられます。逆にいくら実務能力が高くてもこの見極めができていな人の判断や行動は危なっかしくて任せられません。
悲観的に最悪の事態を想定して予防し、楽観的に行動する
今、このコロナウィルス禍はいつ収束するのかも、これからどんな社会になっていくのかも予想はできても、断言できる人はいません。ですから、大事なことは最悪の事態を想定することだと思っています。
最悪の事態は、なかなか事態が収束せず、ウィルスと共に生活をしていかなくてはいけないということだと思っています。ですから、早めにその対策を考え、準備をしなくてはなりません。
最悪の事態が継続したらどうなるか?会社は継続できなくなるのかもしれないのですから。倒産というのは最悪の事態です。ですから、それを回避するためにもウィルスと共に生きるという対策と準備が本当に大事になります。それが済んでいれば、あとはそれが来なきゃラッキーと楽観的に行動できます。ビビらないで済みます。
若かりし頃の自分はいつも苦しいこと、困ったこと、達成しなくちゃならない目標があっても、恐れず「なんとかなるだろう」と思って行動してきました。
それは結果的に行動をしているのでよかったという言い方はできますが、もっと良くすることができたはずと今は思います。それは自分に不足していたことがあるからです。
それは、最悪の事態を想定すること、そしてそれらに対する予防策を準備することです。どこか若かりし頃の自分には、「最悪の事態なんてそう簡単に起きないよ」とたかをくくっていたり、「来るか来ないかわからない最悪の事態の準備をしている暇があったら、もっと生産性があることをした方がいい」と考えてみたりしていました。
つまり、自分にとって都合の良くことが進むであろう、思い通りにうまく話が進むであろうと勘違いしたり、期待していたりしていたわけです。甘い見積もりですよね。
けれども、現実は厳しい。
そう自分に都合よくことは運ばず、つまずきます。すると、私を含め多くの人は、「〇〇のせいで仕方がない」「ついていなかった、次があるさ」と思います。そう思って次に挑戦できればそれはまた良いです。たとえ一時の負けだろうと、最後に勝てばいいのですから。
個人の人生においての勝ち負け、成功失敗ということは本人次第のところもあり、なかなか実感しにくいとも言えます。負けたと思えば負けでもあるし、失敗していないと思えば失敗じゃないと思える局面も多いですが、会社となると話は別で、会社は毎年1回必ず決算という成績書を出し、売上や特に利益の大小というもので評価をつけられます。
リーマンショックが来たから、震災があったから、ウィルスがあったから決算書の数字が悪かったというのは言い訳であり、そのための備え、予防をしなくてはならないし、起きたら起きたで迅速に対応することが社長には求められているし、それが責任なのですから。
我々は表面処理加工を生業とし、特にめっき業を主力に行っています。全盛期には少なくとも2000社以上あったと思われる業界も今では1000社以下。日本国内の製造業態が変化し、調達のグローバル化や国内消費の停滞などを受けたとは言え、我々のお仕事には多くのライバルとそれに紐づく多数のお客様がおり、それら大多数の人がそれなりの利害を抱えて彼ら独自の自由な意思、方針で動いています。ですから、自分の思い通りにならないことが当たり前で、思い通りになることがあったら、それこそ例外で、「ついていた」と思った方がいいのかもしれません。
だんだん、自分も気が付くし、認めなくてはいけない。そんな簡単に勝てないって。けれども、だからと言って勝負にいかなくちゃじり貧。
じゃあどうする?
うん、得たことがある、勝率は上がらない代わりに上手に負けること。勝ちにこだわりすぎず、「今回は準備したけれど、思った通りにならなかった」とサラリと傷を浅くして負ける。事前に成功を前提に考えるとリスクを感じて動けなくなるけれど、失敗前提で準備していればリスクなんて感じないで行動できるし、失敗も受け止められる。
これを実行することで邪魔するのはつまらないプライド。
プライドは大事だけれど、それは結果を出し、その成果を出すために努力を積んだ人の話。子供と将棋を最近、よくするのですが、うちの子供、負けるといっちょ前に泣くし、「もうやらない」とか言うんです。そこで僕は言います。
「おまえ、将棋を強くなるためになんか努力なり、勉強なりしているの?そんな奴が一人前にプライドを持つなんてまだ早い」
たぶん、子供は僕の言っていることなんて理解してないかもしれません。けれども、僕は子供にも物事の本質を言い続ける。
当社の社員諸君も、負けること、失敗することを恐れず。そんなプライドを持てるほど一人前になっていますか?まだ自分は何者でもないという認識からスタートし、成功前提でなく失敗前提で行動して欲しい。
最初からできない、勝てないと思って挑まないのは違う、勝てない相手に挑むから強くなる、成長する。リスクを見積もり、目的に対しての距離感を見積もり、その距離感が遠すぎて、できないからやらない、勝てないからやらない、ではないのです。
なにはともあれ、やってみなきゃわからない。
実は、恥ずかしい話ですが、子供と将棋すると10回に1回くらいポカミスをして、私も負けるんです。まあ、私の将棋の腕も初心者に毛が生えたくらいなんで、無意識に角道を開けてしまい、王さんを取られるというのがパターンなんですが。
なにはともあれ、勝負はやってみなきゃわからない。やらなきゃ戦う前から負けなんです。戦って失うものなんて、大概がたいしたことがないなら、やらないと。
最後に
これを書き終えた2020年のGW。長男の雄飛の誕生日が5月6日で、お祝いをしたばかりです。8歳になり、小学校2年生になりましたが、小学校にはまだ行けていません。当分の間、ウィルスの影響はなくならず、「ウィルスと共に生きていく」という時代になるのでしょう。
そんな時代で我々がどうあるべきか、どう考え、どう行動すべきか。
いつの時代、どんな局面でも想像力を働かせて行動することが大事です。最悪の事態を想定するということも、結局のところ想像力が大事なわけです。この世の中は常に同じでなく、変化をし続け、そして繰り返される。それは歴史が証明しています。人間がなぜ歴史を学ぶかと言えばそこから未来を予測できるからです。
人間関係においても、出会いがあり、別れがあるように、物事の価値観においても、今まで価値があったものの価値がなくなったり、新たな価値が生まれたりということが繰り返されています。例えばモノならば、ポケベルはガラケーに、ガラケーはスマホにとって代わり。ビデオデッキはDVD、ブルーレイ、配信サービスへと変わっていきます。この世の中には色々なことが起こり、実はぐるぐるとした大きな輪の中で繰り返されているのです。
私たちが生きていく中では、今の変化の流れやトレンドを知って乗ることも大事なのですが、次のトレンドが何なのかも推測し、それに対する備えも大事になるということを忘れないでください。
そんな中、変わらないことがあります。人も会社も「生きている」ということです。生きるために、何をする、何がしたい?どうやって稼ぐ?これは、人も会社も同じのは永遠のテーマです。
この永遠のテーマの中でキーとなることは、「欲」です。
「あなたは何がしたいですか?」
もっと欲をもってください。
ちなみに当社さくらGSの欲は、今よりももっと多くのお客様に深く感謝されること、そしてたくさんの人に「この会社で働きたい、働いていてよかった」と思われることです。
強欲かもしれませんが、そのために私は行動しております。

胡蝶蘭担当の座間さんと。
「今年もきれいに咲いたね。座間さんありがとう!」