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会社は生き物のように変化し続ける - 菅井

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企業を設立してから30年後の生存率は15%位以下と言われていますが、中には1%を切るという統計もあります。

いずれにしても、さくらGSは設立70年超ですから極めて稀な部類の企業と言えます。

ここでは、私の身近にあった企業の盛衰について回想したいと思います。古い話ですいません。

私が物心のついた昭和30年代の景色は、正に映画「ALWAYS 三丁目の夕日」でした。

「三種の神器」といって電気洗濯機、電気冷蔵庫、テレビ(白黒)が憧れの生活のシンボルで、「ナショナル」(現在パナソニック)、「東芝」、「日立」はいつも身近にありました。

これらの電化製品を中心とする耐久消費財が急速に普及した時代でした。

自宅から見る川崎の海側の空は「日本鋼管」の高炉の火でいつも赤く染まっていました。

豊かではないけれど何か活気がありました。

煙突の煙、自転車、ラジオ、映画館、東京オリンピック、駄菓子屋といった映像が今でも脳裏に残っています。

「パナソニック」、「日立」は現在も電機業界のトップメーカーです。「東芝」は白物家電事業(冷蔵庫や洗濯機など)が中国企業に売却され、アメリカの原子力事業の巨額損失などもあり現在再建中です。当時から思えば考えられないことです。

高度経済成長の一翼を担った「日本鋼管」は現在「川崎製鉄」と経営統合して「JFE」となっています。

私の就職活動の頃、人気企業の上位には銀行や保険会社が並んでいました。かつて日本の産業基盤を築いた繊維産業はもはや古いという印象がありました。量販店などはその後の販路拡大に向けて活発に採用していました。

時を経て、潰れるはずのない大手銀行の「北海道拓殖銀行」、「日本長期信用銀行」や四大証券の一つ「山一証券」がバブル崩壊後の業績悪化などで破綻しました。「協栄生命」、「千代田生命」も破綻しました。

近年、繊維メーカーの「東レ」、「帝人」などは衣料用繊維から炭素繊維や光学フィルムに事業をシフトして業績を伸ばしている大企業です。一方、かつて繊維産業で隆盛を極めた「カネボウ」は化粧品事業が好調であったにも拘わらず、戦略の誤りや粉飾決算などで再建することができず解散となってしまいました。

百貨店の一つ「そごう」は積極的な出店が裏目となり資金難に陥って民事再生法を適用されました。地方の百貨店の廃業も多数ありました。

また、量販店という新業態で日本の流通・小売業を発展させて日本一の流通グループとなった「ダイエー」ではあったけれど、業績悪化によって「イオン」の子会社となりました。「マイカル」も会社更生法の適用を受け「イオン」の子会社となりました。現在は「イオン」と「セブン&アイ」が2大流通グループとなって他を引き離しています。

最近では、VHSビデオの開発でも成功して大きな利益を上げた「ビクター」もヒット商品の不在によって業績が悪化し、「ケンウッド」と経営統合しまた。

ソーラーパネルやナビのシェアが高く、ラグビーが強かった「三洋電機」は「パナソニック」に吸収され、憧れの“世界の亀山モデル”で大いに売れた「シャープ」も台湾企業に買収されました。

エアバッグで世界市場の20%を占めていた「タカタ」は製品不良のリコールから製造業では戦後最大の経営破綻となってしまいました。

私の身近にあったほんの一部の企業の歴史を見ても、時代と共に大きく変遷しています。“強い企業が生き残るのではなく、生き残った企業が結果として強かった” という印象を受けます。しかし、衰退してしまった企業の組織や人の全てが負け組ということもないでしょう。なぜならその時々の日本の産業を支え、国民の生活を豊かにした貢献は大きいからです。

新製品を開発しても、儲かるところにはライバルが参入し、価格競争が起こり、新製品のアドバンテージも薄れていきます。ベストセラーは出せても、ロングセラーは極めて難しいことなのです。

人間の欲求には限りがなく、一度満たされても次の欲求が現れます。

限りなく便利になって、時短をして、遊びの選択肢も増えて、それでもさらに欲求を満たすために開発を進める。これもまた、今後繰り返されていく企業の栄枯盛衰の途中経過なのでしょうか。

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