
この社長’s Nowも6回目。
3か月に1度の頻度で始まったこの社内報も配信から1年以上が経過したことになります。
社内報を始めること自体もチャレンジでしたが、こうして継続したことを振り返ってみると、たった1年しか経っていないのに、自分の考え方が大きく変わる転換期だったなあと思います。
しかし、「本当に大きな転換期だったのか?」という視点で更に長い期間で振り返ってみると、何年かのタイミングで自分の転換期があり、更に3年、5年、10年、20年との比較をすれば、「ああ、あの時の自分はこんなことをしていた、こんなことを考えていた」などと思い出すことができ、いかに自分が変化していて、成長しているのかを実感しました。
そんな中、タイトルの「人は人を変えられない」というなんだか寂しいタイトルになってしまいましたが、これには深い意味が隠されていますので、最後まで読んでくれると嬉しいです。
私のさくらでの歴史
振り返って思うことの一つとして、会社という存在、特にさくらGSは中小企業とはいえ、100人を超す大所帯。会社にとって大事な存在はやはり人、「社員さん」ですので、このさくらGSに勤めたことでたくさんの人と出会い、別れも経験したなあと感慨深く思っています。
社員さんといえば、今でも働いてくれている人、退職されている人と両方いますが、私がこの会社で働き始めて20年以上が経過する中、入社時からずっと一緒に働いてくれている人として一番に印象的なのは、吉成さんです。入社したばかりで不安がいっぱいだった私に対したくさん声をかけてくれたり、くじけそうなときには励ましてくれたり、社会に出て世界が狭くなってしまった自分と肩を並べてゴルフやゲームなどで遊んでくれたりもして、本当に感謝の気持ちでいっぱいになります。やっぱり人って「初めて」というのはとても怖くて、印象的なんですよねえ。
吉成さんだけでなく、この会社にいる全ての社員さんとの思い出はたくさんあり、それは僕にとっての宝であり、財産になっています。全ての社員さんとのエピソードをお話ししたいのですが、それには字数やスペース、時間の関係で失礼させていただきますが、少しだけ書かせてください。私の歴史をみんなにも少し知ってもらいたいと思いますので。

23歳で入社してすぐから3年くらい。25歳くらいまでの時だったかなあ、川崎工場がまだ昭和メッキという名前だった頃。
私は川崎工場で現場作業を勉強させてもらっていたことがあり、現役バリバリの栗村さんが課長で、今では声が大きい元気なおじいちゃんですが、当時は若々しいムキムキの体で工場を駆けずり回っていて、工場の中心人物でした。その栗村さんと仲が良いのが熊谷さんで。僕は熊谷さんとよく川崎工場の2階にある無電解ニッケルのラインで(既に停止済みで先日、完全解体済みですが)一緒にいろんなことを話しながら作業したのはとても懐かしい思い出です。
その時の川崎工場の吊るしの責任者は赤根さんで。赤根さんとはあんまり話したことなかったな、その当時は、笑。そして、櫻井さんが業務課長だったかなあ、それとも早坂さんが業務係長だったかなあ。そこは曖昧でゴメンなさい。
櫻井さんと早坂さんはいろんな職場、いろんな仕事で活躍していたから、記憶が曖昧になっちゃうんだよね。
そんな時代に出会った大事な人の一人に塚本さんもいます。塚本さんはその当時はさくらの社員ではなく、お客様の桂川精螺さんの品質管理のお仕事をしていました。その業務の一環で監査のために川崎工場に来て会ったのが初めての出会いで、今よりずっと不遜な態度で川崎工場をけちょんけちょんに言っていたのが懐かしいです、笑。小西さんという製造の鬼、武士みたいな気概を持つ各所で工場長をやってくれた当社の歴史で重要な大人物がいたのですが、その人が塚本さんに対して、「おまえ、なんでこの会社にいるんだ、さくらの敵だろうが?」と笑いながら言っていたというのを塚本さんから聞いたことがあり、思わず大爆笑をしました。
ほかにも私は東京工場で業務係を経験させてもらったり、横浜工場でも業務係を経験させてもらったり、なんでも色々なことを経験させて貰いました。
私が一番に辛かったこと
そうやって思い出を振り返っていると、私が一番に辛かったことも思い出してしまいます。
私が一番に辛かったこと。
それは、「社員さんが辞める」ということです。
人生の中でたくさんの出会いと別れを経験しますが、特に仕事上で「会社で誰かが辞める」という話を聞くことは本当に嫌で、胸が張り裂ける気持ちにいつもなりました。「なんで辞めるんだよ!!!」という怒りにも似た悲しい気持ちになり、「そんなに俺が嫌いか!」と自分への自信も失い、最後には「俺の何が悪かったのだろう?こうなる前に自分にできることはなかったのか?」と自戒し、自分を責めました。
だって、会社を辞めるということは、「会社の未来に期待できない」、「社長である私に期待できない」ということじゃないですか。
そういった答えを受け入れることは、とても私にはつらく苦しいことでした。もちろん、人が会社を辞める理由というのはそれが全てでないことと理解していますが、多かれ少なかれ上記の理由も含まれることは言い逃れのできない事実。
そして、社員さんが退職する前にほぼ必ず行ったのは、社員さんの心変わりを期待しての引き止めのための説得でした。
けれども皆さん、お分かりですよね。
そう、そんなのうまくいくわけない。ご想像の通りでしょうが、もちろんそれが成功して会社に残って働いてくれた人なんてごくわずか。
途方もない無力感、やるせなさといった虚脱感が自分を襲い、仕事へのやる気を失い、落ち込むこともよくありました。そして「自分を否定された」という悔しさ、悲しさからでしょうか、「辞めた社員とは今後の人生で一切、関わらないようにしよう。連絡が来たとしても相手にしないようにしよう」と思って生きていました。「好き」の反対語が「嫌い」でなく「無関心」とも言いますが、私は辞めた社員に対して「無関心」を貫くことで自身を保とうとしていたのだと思います。

IT時代のコミュニケーションから来る自分の変化
今、思うと、それもなんだかなあ、と思います。
「別れた女とはもう2度と会わない」
「袂を分かつようになった友とは、交わらない」
演歌の世界、そういった価値観を共有できる人も多数いるでしょうが、それは昭和の考え方、田舎から都会に出る仲間を「お前は地元を捨てるんだな、もう二度と地元に帰ってくるな」といった考え方の時代もありましたよね。
しかし、今は平成から令和の時代です。そんな考え方では時代に取り残されるし、みみっちいし、了見も狭いと気づかされました。
なぜなら、今は、ITという道具が発展しているからです。
昭和の時代には当たり前でなかった、携帯電話、インターネットが普及し、誰もがそれらを使用することが当たり前の時代になり。更に、LineやFacebookといったSNSも発展し、電話番号や名前のみで簡単に誰とでも繋がれる、コミュニケーションが取れる時代となりました。
結果、昔だったら、別れた人や袂を分かつようになった人とは、「もう二度と会わない、関知しない、あいつが何をやっているかなんて知らない」ということができました。それこそ、テレビ番組での「有名人の人生を変えた友、ライバルが何をしている?」であったり、「あの有名人の今は?」なんてのもあったりしましたが、今は簡単に情報が取れます。
こんな経験ありませんか?
Lineを使っている人も数年前から、若者だけでなくおじさん、おじいちゃんまで増えましたよね。そんな中、「知り合いがあなたの携帯番号で友達登録しました」といった感じのメッセージが出て、「なんだ?」とみると懐かしい知り合いの名前であったり、まさにその過去に縁が切れた人の名前であったり。その名前を見ると、頭の片隅に閉じ込めていた記憶が蘇り、良い思い出なら懐かしくもなったりもしますが、悪い思い出だったなら嫌な気持ちにもなったりしますよね。
Facebookを使っている人なら、「この人はあなたの知り合いではありませんか?」とまたメッセージが出て、その名前を見るとLineの時と同じ気持ちになります。
それらの機能のおかげで同窓会がしやすくなり、人が集まりやすくなったと聞きます。45歳になると子育てや仕事が落ち着いた人が増えるのでしょうか、同窓会ネタが数多く聞かれるようになります。
昔だったら連絡が取れなくなって消息不明だった人が、生年月日と名前でその人がもしもFacebookに登録なんてしていたら、探し出せて繋がれてしまうのですから。もちろん、繋がりたくない人、そういった同窓会なんかに出たくない人はそういったツールを使いませんから、繋がれませんが、同窓会なんかは、出たくない人は出ないわけですし。出たい人しか出ないのですから、出たい人への訴求効果は大きいと思います。
こうした時代の流れは止められません。
ですから、私は「無関心」から「関心を持つ」にシフトチェンジをしました。
私にとっては大きな転換ですし、昔の私を知っている人はびっくりするかもしれません。
こういった自分の変化を実感すると、会社が今、こう言われていることにも納得感があり、自信が持てます。「さくらさん、変わったよね」と。

人は人を変えられない
さくら鍍金の頃から長く当社を知っているお客様、取引先、同業各社、そして長く当社に在籍してくれている社員さんからもそう言われることは、非常に誇らしいことでした。
なぜなら、それは私が望んで変えてきた行動からの結果だと自負でき、自分が変わったから会社が変わったと思えるからです。
品質を強化するためにISOを取得したり、成果をきちんと出すために目的目標をはっきりとさせたり、人を強化するために教育に力を入れたりと、様々なことにトライをしてきました。そういった今だから言えることとして、私は会社を変えるために、社員であるみんなのことも変えようと努力していたのだと思います。
けれども、退職する人の気持ちは変えられないし、その人が望んでいることを他人が変えることなんてできやしません。いろんなことを頑張って、自分が社長として、社員であるみんなを変えようと頑張った結果、気づいたことは「人は人を変えられない」ということです。
しかし、当社は変わりました。それは、私が社員であるみんなを変えたのではなく、社員さん個々が自分で気づいて自分で変わろうとした結果なのです。
人は人を変えられません。
だいたい他人が他人を変えようなんて、相手の都合で支配しようとしていることにも繋がりますし、本当に精神的に自立していたら、迷惑なことですよね。
ですから、僕は、人を変えようなんて思わなくなりました。
その人のことを良く知って、自分が変わればいい。適応すればいいんだって。
時代は変わります。それと共に、道具、技術が変わり、それを使う人間が変わります。みんながみんな、自分がなりたい人間に変わっているだけなのです。
僕は変わることに抵抗がありません。
「最も強い者が生き残るのではなく、最も賢い者が生き延びるでもない。唯一、生き残るのは変化できる者である。」
ダーウィンの進化論で有名な言葉です。
人は人を変えられないけれど、自分で自分を変えることはできます。変わるかは自分次第です、いつまでも、人生が続く限り。変わるかどうかを決めるのは自分なのです。
「あなたが心の底からやりたいこと、望んでいることはなんですか?」
それが何なのか自覚すること、そして自覚したら、自分を自分で信じてください、変わることができると。すると、行動が変わり、習慣が変わり、そして人生が変わります。
「人は他人を変えられない、しかし、自分は自分を変えられる、自分を変えられるのは自分しかいない」
これは私が今、心の底から思い、一つの人生における答えだと思っています。
最後に・・・
社員さんが退職する際、もちろん今でも慣れませんし、悲しい気持ちになります。けれども、ひとしきり落ち込んだ後、気持ちを切り替えるために行ったことは、変わりません。
それは、彼らの退職理由をできるだけ正確に知り、それらを改善、解決に近づけることで会社を魅力的にし、もう2度と自分がそんな気持ちにならなくて済むように会社を良くしようということでした。
しかし、変わることで副作用もあります。
「以前のさくらの方が良かったよ!」と思う人もいるからです。
そうすると、そういった人は社員さんを含め、お客様も離れていきました。
最初はそれを寂しくも思いましたが、だんだんそれには慣れていきました。なぜなら、それは仕方がないことだと割り切れるからです。
これからも当社を辞めたいと思う社員さんは出てくると思います。
その際には、きちんとまずは退職理由について耳を傾け、当社が反省すべきところは反省し、改善していかなくてはいけないと思います。
それが「変わる」ために必要なことだからです。
ただ、もしも、当社を辞めた後、当社の良さが改めてもしも分かったのなら、いつでも戻ってくればいいと思っています。しかし、会社を嫌いになってしまったのなら、そういった関係性もできませんし、こちらとしても当社にツバを吐くような辞め方をされたらそうはなれないでしょう。できる限り、辞めた後でもどこかで会ったら笑って挨拶が言える、思い出話ができる関係性ができたらいいなあって思います。
ITの進化で会いたくない、知りたくなくても繋がれちゃう、誰が何をしているか分かってしまう時代。
それを居心地悪くするのか、居心地よくするのかも、自分で変えるしかありませんよね。
人は他人を変えられません、自分でしか変えられないのですから。
